ローマにあるサンタンジェロ城。城、というにはあまりにも変わった形をしているのは、もともとは霊廟(お墓)として作られたため。
サンタンジェロ城には長い歴史の中で様々なエピソードが語り継がれています。
知っておくと、ローマ観光が100倍面白くなりますよ!
目次
1.天使の城と呼ばれる
6世紀にローマでペストが大流行しました。
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その時の教皇グレゴリウスが大天使ミカエルがこの霊廟に降り立ち、剣を抜いてペストを追い払ったのを見た、という伝説があります。このエピソードがもとで、サンタンジェロ城のミカエル像は剣を振るう姿をしていますので、ご覧あれ。
現在のミカエル像は、5代目。
最初の身長は木製であり、雨風により浸食され腐敗しました。次に作られた第二の天使は、大理石製でしたが、1379年に敵に攻められ壊されました。青銅で作られた翼のある第3の像は、1497年に城に落ちた落雷により焼却。その次には、金メッキされた青銅の像が置かれましたが、大砲を作るために溶かされたそうです。
その後、ブロンズの像が置かれ、それが現在の像です。
2.6世紀ごろから刑務所として利用されており、有名な人も投獄されているサンタンジェロ城
有名な人では、「アレッサンドロ・ファルネーゼ卿」、詐欺師である「カリオストロ」、コペルニクスの地動説を擁護した「ジョルダーノブルーノ」、およびルネサンス期の画家「ベンヴェヌート・チェッリーニ」(教皇パウルス3世の不興を買ったため2年間幽閉)などが投獄されています。
ルパン三世に出てくるカリオストロ城は、このサンタンジェロ城がモデルになっているそうですが、投獄されていた「カリオストロ」にちなんで名前が付けられたのかもしれませんね。
この中で、ファルネーゼ卿は脱獄に成功しているそうです。
3.女性の幽霊が現れるという怖いエピソード
サンタンジェロ城はもともとは、霊廟(お墓)として建てられましたが、のちに城に改装され、牢獄や刑務所として利用されるなど、時代と共に役割が移り変わっていきました。そして、刑務所であった時代には、無実の罪の人も多く収容されていたそうです。
サンタンジェロ城は死刑執行の場としても利用されていました。
有名なのは、ローマ貴族婦人であった「ベアトリーチェ・チェンチ」とその家族の死刑執行です。彼女は実の父親を殺した罪で捕まります。しかし、その父親は悪い人で家族を虐待していました。真相を知っていたローマの人は恩赦を求めましたが、当時のローマ教皇クレメンス8世は全く慈悲を示しませんでした。(チェンチ家の財産を手に入れるために、死刑を執行したかったとも言われています。)
彼女は、サンタンジェロ城の広場で斬首刑に処されました。
それから、ベアトリーチェの幽霊が斬られた自分の首を持ってさまよっているというエピソードが今も語り継がれています。
4.「マエストロ・チッタが橋を渡る」という言葉が生まれた
マエストロ・チッタというのは、「ジョヴァンニ・バッティスタ・ブガッティ」というローマ激動時代に死刑執行人を務めた人物。
彼の任期中に死刑された人は実に516人にものぼります。
彼は、テヴェレ川の右岸に家があったため、死刑を執行するときは、サンタンジェロ橋を渡りました。有名な「マエストロ・チッタが橋を渡る」というのは、これから死刑が執行されるという予告の言葉なのです。
5.13世紀に秘密の通路が作られる
パセット・ディ・ボルゴ(Passetto di Borgo)と呼ばれるバチカンのサン・ピエトロ大聖堂とサンタンジェロ城をつなぐ秘密の通路があります。
1527年のローマ略奪の際には時の教皇クレメンス7世がこの秘密の通路を通って逃げのびました。歴史の中で実際に活用されているのがこれまた面白い!
ちなみに全部は無理ですが、一部は見学ができます。
まとめ
天使の城とも呼ばれ、大天使ミカエルが流行していたペストを追い払ったというエピソードもある一方で、死刑執行の場として利用されるなど、怖い一面もあるサンタンジェロ城。
バチカンのサン・ピエトロ大聖堂と地下で繋がっている、映画「天使と悪魔」の舞台にもなるなど、人を惹きつけてやまないエピソードが盛りだくさんな場所です。
ローマに行かれた際にはぜひ、サンタンジェロ城に訪れてみてくださいね。