ヨーロッパでは観光地でオーディオガイドを聞いているとよく出てくる病名に「ペスト」があります。
有名な病気なので、よくは知らなくても聞いたことはあるかと思います。
さて、このペスト、ものすごく恐ろしい病気でした。
目次
ペストとは
ペスト菌に感染することで発病する伝染病。人間に流行する前に、先だってネズミに流行することが多く、ペストに感染したネズミの血を吸ったノミに刺されることによって人間にも感染します。
ちなみに、14世紀に世界中で大流行した際は全世界で8,500万人~1億人がペストによって死亡し、人口の3割が消えたと言われています。
現在も有効なワクチンはありません。
治療しなければ数日以内に死亡する致死率の高い病気
ペストには菌が体のどの部分で感染するかによってタイプが分かれます。
腺ペスト・・・リンパ節に感染した場合の症状。このタイプが最も多く、感染するとリンパが腫れ、高熱が出る。時にこぶし大まで腫れることすらある。治療しなければ、数日以内に死亡する。
皮膚・眼ペスト・・・皮膚、目に感染した場合の症状。感染部分に膿疱や潰瘍ができる。
敗血症・・・ペストにかかった約1割に見られる。血液に乗ってペスト菌が全身に運ばれ、敗血症を起こす。皮膚のあらゆる場所に出血班ができ、手足の壊死を起こし皮膚が黒くなる。ペストが別名「黒死病」と言われるのは、このためである。ショック状態に陥り、昏睡、死に至る。
肺ペスト・・・ペストの中では最もまれな症状。ペストにかかった患者が肺に二次感染を起こすと発病。また、肺ペストにかかった患者の咳やくしゃみによって菌が空気中に霧散し、それを吸った周りの人も肺ペストに感染する。ペストが大流行した際は、空気感染によるものが多かったと言われている。治療しなければ、数日以内に死亡する。
ということで、感染するとかなりの確率で死に至ります。恐ろしい病気です。
また、黒死病と言われるゆえんである「皮膚が黒ずむ症状」など見た目にも恐怖を感じる病気でもあります。
ペストを治療するペスト医師とは
これまた、恐ろしい見た目ですよね。医師と言われなければ道化かサーカスかと思うほど、非常に奇抜な見た目をしています。
14世紀にペストが大流行した時、ヨーロッパでは人口の1/3~2/3にあたる2,000~3,000万人がペストによって命を落としました。また、感染すればほとんどの確率で死に至ることから、医者もペストにかかるまいと逃げ出す始末。
それもそのはず、当時はペストがペスト菌による病気であるとの認識がなく、近年に起こった大地震により地面が割れて、そこから瘴気(悪い気)が漏れ出し、それが原因だと考えられていたのです。
つまり、治す手立てはほとんどなく、何よりもかからないことを徹底しなければならない、という状態でした。
ペスト医師は公務員
ペスト医師は、個人の医者ではなく都市にやとわれた公務員的な立場でした。
治療費も個人からではなく、都市から支払われていました。
しかし、先にも述べたようにペストはかかると死に至る病。死と常に隣り合わせの危険な仕事でした。
また、ペスト医師の多くは、経験の浅い者や、専門的知識の乏しい者であったとも言われています。
流行が進むとこのペスト医師すら逃げ出していました。治療する人間は、ペストの悲惨な状態を毎日目の当たりにするため、逃げ出したくもなりそうです。
ペスト医師の格好
ペスト医師というこの鳥のくちばしのようなマスクは、中に藁や薬草などが詰められていて、この瘴気を吸わないようにするガスマスクの役割を果たしていました。患者の死臭をかがないようにする、という理由もあったようです。顔まで覆い目の部分にはアイピースをはめ込むこともあったそうですが、これは感染した患者には悪霊が取り付いていると考えられていたため、悪霊を払う目的で使用していました。
また、手には革袋をはめ、長いマントで全身を覆い、直接患者に触れないようにしていました。
診療のときも手に持っている杖で患者をつついたり、さしたりして診療したそうです。
ペスト医師の治療法
お金のない貧しいものでも貧富の差は関係なく治療を受けられたと言いますが、実際の治療というのは「瀉血」といって、リンパにたまった膿を出すくらいのもので、適切な診療というのはこの時代にはありませんでした。
また、感染した患者の体液が外に出ることにより、感染が広がった可能性もあったようです。
ペスト医師の役割
ペスト医師は患者を治療するだけでなく、この病気の死者数を正確に記録する役割も担っていました。
というか、治療法などをきいていると、記録する役割のほうが大きかったのでは?とも思います。
ペストがヨーロッパにもたらしたもの
ペストは大幅な人口減少を各地に引き起こしました。人口が減少したことによる文化的変化だけでなく、人々の心にも多大な影響を及ぼしました。
衛生環境・住環境の改善につながった
ペストは、治療の手立てがない恐ろしい病気ではありましたが、「瘴気=悪い空気がもたらす病」と考えられ、衛生環境をよくする取り組みにつながりました。それまではヨーロッパの街路はまるで下水道のような不衛生さでしたが、政府が街を清掃する取り組みをしたことで清潔になっています。(当時は汚物などが溜まると、それを外(街路)に捨てるのが当たり前でした。)
18世紀ごろにはヨーロッパの衛生環境、住環境はよくなり、ペストは終焉にむかいました。
宗教や社会的変化の起爆剤となった
教会はペストを食い止めることが出来なかったので、多くの人が教会に失望しました。救われると信じて、財産などを教会にすべて渡す人もいたそうです。
それまで信じられてきた社会の仕組みはうまくいかなくなり、新しい考えが必要でした。
また、亡くなったものの中には知識階級も多かったため、語学教師や宣教師などが人手不足に陥りました。その結果、知識の乏しいものを採用せざるを得なくなり、これらのことが宗教改革の一端になったとも言われています。
人口減少により貧富の差が縮まった
領主たちは領民の減少により税金を集めることが難しくなり没落していきます。そのため、領主はいい条件で他地域から領民を呼び寄せる方法を取りました。そうして、人口過多により、農奴(土地を持たない労働市民)にしかなれなかった労働層が、町で生産物を購入できるほどまでに経済力を持つようになりました。
これにより従来あった封建制が崩壊します。
農民が都市に流れ込んだため、都市部が急発展しました。
芸術への影響
ペストは芸術面にも大きな影響をもたらしました。「死」を題材にして絵画や彫刻などが作られ、骸骨や死体などのモチーフが人気を博しました。
まとめ
ヨーロッパの歴史の中で、ペストを天使が追い払ったというエピソードもよく見かけますが、神頼みになる理由も分かります。
人口の3割以上が死んでしまう病気だなんて、そりゃあ、パニックになっても仕方がありません。
ヨーロッパ含め世界中に悲痛な大打撃を与えたペストは、封建制の崩壊、新しい思想や文化の発達を促し、近代ヨーロッパの仕組みを作る起爆剤にもなりました。
<ペストの終焉を祝う記念塔>
ウィーン旧市街「グラーベン通り」にあるペスト記念柱。これは、猛威を振るっていたペストが終息した記念として、レオポルド1世が建てたとても大きく立派な記念塔です。
最下部分が、天使がペスト(老婆)を倒す像となっています。