見た目からして面白い!フランスにある中世要塞都市カルカソンヌ(Carcassonne)!ユネスコの世界遺産にも登録されています。
紀元前3世紀に建てられた古代ローマ時代の城壁に、さらに建てられた大規模な中世の要塞はヨーロッパ最大を誇ります!
このシテには今もなお、人々が暮らしいていますが、実は破壊される一歩手前でなんとか生き残った、そんな歴史のある場所なのです。
目次
カルカソンヌのある位置はフランスの南部
この地図で見ても分かるように、カルカソンヌがあるオード平原は、大西洋と地中海にはさまれた場所。
ここは、新石器時代から交易ルートが発達した場所であり、この場所にあるカルカソンヌもまた、その戦略的優位な地理、地形によって発達を遂げた都市でもあります。
中世の城塞都市 シテ
カルカソンヌは、中世の城塞都市「シテ」で有名です。
シテにあるコンタル城は12世紀に建てられた城で、この部分は有料です。この城自体が城壁の一部になっていて、いくつもの塔を持っています。内部は、遺跡に関する展示がされており、カルカソンヌ城塞についての歴史を知ることが出来るので時間があれば入ってみてもいいでしょう。
「カルカッソンヌを見ずして死ぬな」と称されるほど美しい都市は、この盛り上がった地形とそこにたてられた大規模な歴史的遺産から成り立っています。
カルカソンヌの歴史
始まりはガロ・ローマ時代につくられた砦
城塞はヨーロッパ最大級を誇ります。なんと、最初の砦が建設されたのは、紀元前3世紀のガロ・ローマ時代のとき!年季がすごいですね!
その後、13~14 世紀にかけて大規模な増築が行われ、ヨーロッパ最大級の城塞にまで発展しました。
カルカソンヌは地理的に、ここを支配しておけば戦略的優位に立てる場所でした。
モンターニュ・ノワール山脈とピレネー山脈の間に位置するため、人や物は必ずここを通ります。
また地中海と大西洋を結ぶ要衝でもありました。
そのため、長い歴史の中で何度もこの地を巡って争いが繰り返されました。8世紀にはイスラムに支配され、その後フランク王国が支配します。
城塞の完成
「シテ」のローマ時代に建築された城壁は、12世紀の時に権力を握っていたトランカヴェル家によって修繕が行われました。そして、カルカソンヌは完全な城壁に取り囲まれた都市になりました。
また同じころ、カタリ派(アルビ派)というキリスト教異端派が普及します。
カタリ派は、フランス王権の及ばない南フランス地域で、領主たちに政治利用され始めました。そのことを危惧したローマ教皇がフランス王に命じて、軍を差し向けます。それが異端十字軍とも呼ばれる、アルビジョワ十字軍。
カルカソンヌは、カタリ派攻撃の拠点となりました。
フランス王の手に落ちたカルカソンヌは、フランス王領に組み込まれます。
17世紀には、フランスースペイン間で結ばれたピレネー条約によって、スペインとフランスの国境が下がり、軍事的都市としての役目を終えます。
そのあとは、「シテ」は、食料貯蔵庫として利用されていたそうです。フランスの手に落ちたカルカソンヌはナポレオン時代も戦渦に巻き込まれることなく平穏な時代を過ごしました。
しかし、利用されていない建物は朽ちるのも早いもの。
19世紀末にはかなり荒れ果てて、塔も朽ちていたそうです。
一歩手前で、破壊を免れ修復へ
荒廃したカルカソンヌの要塞城は、ついに、1849年、フランス政府から「破壊されるべき」と判決が下されました。
しかし、ここで歴史的建造物としての要塞を守るための活動が起こります!
地元や歴史家、作家に愛された「シテ」は、破壊を免れ修復工事が始まりました。
破壊が見過ごされずにこの歴史的建造物が護られたことは、人類にとって幸運なことであったと思います!
まとめ
カルカソンヌは、1997年にユネスコの世界遺産に登録され、人気ある都市としての名誉を回復するに至りました。
シテには、サン・ナゼール大聖堂、闘技場、城壁、ナルボンヌ門 、オード門など、見どころがいっぱいです。
これからも愛される街、「カルカソンヌ」。
南フランスへ行かれる際は、ぜひお立ち寄りください。
カルカソンヌへの行き方