ミケランジェロを抜きにしてヴァティカン芸術は語れないくらい、彼の存在は大きいものです。
今回は、知っておくとヴァティカン観光が20倍楽しくなるミケランジェロの人間ドラマのエピソードについて紹介します。
目次
彫刻家としてのミケランジェロ
ミケランジェロは、あの有名なシスティーナ礼拝堂の天井画や壁画でよく知られており、もともと画家であると思っている方もいらっしゃるのではないでしょうか。
「万能の人」と呼ばれ、あらゆる芸術方面だけでなく、建築家や発明家としても名高い彼は、実は彫刻家でした。
そして、ミケランジェロ自身も彫刻家であると自負しており、彼の父への手紙にもそう記しています。
カトリックの総本山、サン・ピエトロ大聖堂にあるミケランジェロ作のピエタ像。
ピエタというのは、
聖母子像のうち、死んで十字架から降ろされたキリストを抱く母マリア(聖母マリア)の彫刻や絵の事を指す。
多くの芸術家がピエタを製作しており、中でもミケランジェロが1499年に完成させた、現在のバチカンのサン・ピエトロ大聖堂にあるものが有名。
(引用:wikipedia - ピエタ)
ダビデ像で高く評価を受けたことで、ピエタ像の制作を依頼されます。
依頼は、ミケランジェロが23歳の時。そして、1498年から2年を費やし制作しました。
そうして、この作品でもってして彼の名声は確立されることとなりました!
ミケランジェロ唯一の署名が入った作品。なぜこの作品にのみ署名がされているのか?
キリストを抱くマリア様の左肩からかかっているタスキ状の帯部分に、ミケランジェロの名前が刻まれています。
この作品にのみ署名を刻んだ理由がまた、人間味あふれていて面白いです!
ピエタ像が公開された時、「この作品を作ったのは誰か」と観客から話がのぼり、自分の名前を言われるのを待っていたミケランジェロでしたが、別の彫刻家の名前を挙げられたことに怒り、夜中に教会に忍び込んで署名したそうです。
しかし、冷静になった後でこの行いを深く反省したミケランジェロは、二度と作品には署名をしないと誓い、以降の作品には署名がなされていないとのこと。
作品に署名をしなくても名声高い彼の作品は、誰が作ったのか一目でわかったのでしょうね。(しかし、署名がないため、後世に発見されてミケランジェロの作品と言われたものの内、ミケランジェロが本当に作ったかどうか疑問視されているものがいくつか存在しています。)
システィーナ礼拝堂の天井画は教皇の気まぐれから始まった
当時の教皇ユリウス2世に霊廟の制作を命じられる
教皇の座に就任したユリウス2世は、1505年、各地から芸術家を呼び寄せました。
このときミケランジェロもまた、ユリウス2世が死後に納められる霊廟の制作を命じられました。
壮大な霊廟の建設に心躍らせたミケランジェロは、1年近く山にこもり、大理石を切り出します。
しかし1年後彼が大理石を運び出しローマにもどった時、そこで待っていたのは・・・
ユリウス2世の心変わりでした。
ユリウス2世「霊廟制作は興味が失せた。かわりにシスティーナ礼拝堂の天井画をよろしく!」
気まぐれな教皇に逆らいきれず、制作を引き受ける
怒った彼は一旦は帰郷するも、相手は教皇。逆らいきれずに仕方なく制作を始めることになります。
そこで霊廟制作を中断し、4年の歳月を費やして天井画を完成させることになるのです。
この時にミケランジェロは、父への手紙にこう書いています。
「辛いのは、専門でもない画家としての務めをさせられていることにあります。」
彫刻家としての自負を持っていたミケランジェロにとって、画家としての仕事である天井画の制作には乗り気ではなかったようです。
なぜ、彫刻家のミケランジェロに天井画の依頼をしたのか?
ここで疑問なのは、ミケランジェロの名声を博したのは、ダヴィデ像とピエタ像でどちらも彫像でした。
しかし、教皇はなぜそのミケランジェロに画家としての仕事を依頼したのでしょうか?
実は、ミケランジェロはギルランダイオに弟子入りしていた時に、その工房でフレスコ画を学んでいました。そして、ギルランダイオはフレスコ画家でした。
それを教皇ユリウス2世が知っていたのか知らなかったのかは分かりませんが、ユリウス2世は、周りから恐れられている暴君であったので、「(できる、できないにかかわらず)自分の命令に逆らうことは許さない!」と考えていたことでしょう。天井画の依頼の前に、ミケランジェロにブロンズ像の制作も依頼し、ミケランジェロが断るのにもかかわらず強制し作らせています。なんだか、無理な命令をし、きかせるのが好きだっただけのような気もします。
もし、ユリウス2世がミケランジェロの才能を見込んで依頼をしていたのだとしたら、こんな先見の明がある教皇もそうはいないでしょう。
ミケランジェロとユリウス2世の面白いやりとり
教皇は、制作中にもミケランジェロに発破をかけています。
ユリウス2世「いつになったら天井画が完成するんだ!」
ミケランジェロ「私が出来たといったときです!」
制作中には、父や友人に愚痴の手紙を出していたそうで、よっぽど不満もたまっていたのだと思います。
暴君ユリウス2世と、短期でかっとなりやすい性格だったミケランジェロ。おそらく、馬は合わなかったのでしょう。
しかし、ユリウス2世なしでは生まれなかった名作があるのも確かです。
霊廟は40年の歳月をかけて完成
霊廟は結局、40年の歳月をかけて完成しました。
司教座聖堂サン・ピエトロ・イン・ヴィンコリに安置されている、中央にミケランジェロの彫刻『モーゼ像』が配されたこの壮麗な霊廟は、ミケランジェロ自身には満足のいくものではなかった。
霊廟は、ミケランジェロにとっては満足のいく出来ではなかったようです。
しかし、この作品は、モーゼの豊かな髭のうねりの表現や、それをなでることで複雑に絡み合う様子、血管が浮き出ている力の入った左腕の表現など、他の彫刻家の作品とは一線を画しています。
フロイトもこの作品を高く評価しており、芸術家ヴァザーリもモーゼの顔が美しいと賞賛を贈っています。
ミケランジェロの作品はやはり何よりも美しいです。特にお顔が。
そして、至極の宝石となる天井画が完成
天井画を完成させ、除幕式の日に天井画の幕が取り除かれた時、人々は声を上げました。
「神のごとき、ミケランジェロ」
この絵があると知っていても実際に見ると感動せざるを得ないのに、当時の人々が何も知らずにこの絵を見たときの気持ちは、言葉では表せないくらいの感動であったことでしょう!
天井画制作の裏話
当初は、十二使徒の巨大な像を描かせるはずだった、天井画。しかし、そこに完成したのは予想をはるかに超える超人的な画でした。
システィーナ礼拝堂の天井画には1000平方メートルの膨大なスペースに、総勢300人もの人物が描かれています。
これをミケランジェロは、制作中に助手を5人も解雇して、一人で描き上げたそうです。
いやな仕事でも妥協をせず作り上げる姿勢はさすが、世界に名だたる芸術家ですね!
ヴァザーリはこの天井画のことを、「何世紀もの間、暗闇に沈んでいたこの世界に再び光をもたらすものだ。」と評価しています。
中世の人々にとって美術品とは、それ自体が救いであったと考えられます。
そして、ミケランジェロの天井画は、多くの人の救いとなったことは間違いないでしょう。
彼が乗り気ではなかった画家としての仕事は、さらに彼の名声を不動のものとしたのでした。