圓光寺 京都

Photo by Patrick Vierthaler

【海外比較】宗教的建物に見るヨーロッパと日本の「美しさ」の違い

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「美しい」と人の心を揺さぶるのには、多くのものがあります。

何を美しいと感じるかも、人によって様々です。ある人が美しいと思うものも、別の人はそう感じないこともあります。その逆もしかり。このように、美しさというのは、対象物そのものではなく、人の心の中にあることが分かります。また、美意識というのは個々の差だけではなく文化による差もあるはずです。では、美しさの基準とはいったい何なのでしょうか?

今回は、ヨーロッパと日本の「美」の違いに着目してみました。

ヴァチカンのサンピエトロ大聖堂

サンピエトロ大聖堂

Photo by Gary Ullah

必ずしも、サンピエトロ大聖堂がヨーロッパの美の代表ではありませんが、どこを見ても細かい模様、美しい絵画や彫刻、様々な装飾で埋め尽くされた空間は、日常からかなりかけ離れた非現実そのものです。

すべてが豪奢で優美!写真をとるにしても一体どこを撮影したらいいのかよく分からないですよね。というかどこも残したい!その位、余すことなく美しいものが詰め込まれた空間です。

この「余すことなく美しいものが詰め込まれている」という表現方法が、ヨーロッパの美的感覚の1つです。

そして、この大きな空間や、ゆるぎない石造りの重厚感からは、何物にも打ち勝つような圧倒的な存在感を感じます。きっと、100年後も200年後も同じように立ち続けるであろう不変的な強さがあります。

もちろん神にささげる目的の建物ではありますが、この建物を作り上げる人間の、人の力の中で一番強いものを感じることができ、ここにいるだけでなんだかパワーをもらったような気がします。

史上最高の美と最強の力を感じることが出来る場所です。

京都の宝泉院

京都の宝泉院

Photo by Ken Yamaguchi

京都にある「宝泉院」の「額縁庭園」は、書院の柱や鴨居を額に見立て、庭園を楽しむことからこの名で呼ばれるようになりました。

日本の宗教観や文化を理解するのにこれほどピッタリな建物はないのではないか、と思うくらい日本の美的感覚を体現した建物です。

建物自体は、ものすごくシンプルです。

主役は建物ではなく、美しい庭園の木々。

この時、宝泉院は、庭園の木々を引き立てる存在です。

主役である自然の木々は、春は桜、初夏は新緑、秋は紅葉、冬は雪景色といったように、季節によって移ろいゆくもの。ここにある美しさとは、「無常」という常に変わっていくもの。また、変わることで移ろいゆく瞬間の美しさを大切にするものであります。

また、開放感のあるこの場所は、自然と一体になるような、それでいてどこか寂しさがあるようなそんな気持ちにさせられます。

ここにいると感じるのはサンピエトロ大聖堂とは真逆の「人間の存在の矮小さ」、「自身の儚さ」です。そして同時に、人の手では敵わないであろう自然の強さや移ろいゆく無常の美しさを感じることが出来ます。

日本の美しさ「引き算の美」

枯山水 日本庭園

photo by papalagi chen

日本には、「引き算の美」と言われる様式の1つである「枯山水」という美的表現があります。

表現をしたいものをあえて引き算し、余白を作るというものです。

日本画には、ヨーロッパの絵画と比べ余白が多いですよね。これは、日本では、「白紙は描写以上の描写」という考えがあり、他の文化では見られない日本独特の表現です。

京都の龍安寺の庭ではこの引き算の美で作られた庭園を鑑賞することが出来ますよ。

まとめ

「美」は「生」を連想させ、「生」は「死」を連想させます。宗教的な建物にもまた、「死」が大きく絡んでいます。

こういった日本とヨーロッパの美的感覚の違いは、宗教観や死生観にも表れています。

私たち、日本人の中に根付いているであろうこういった感覚を、視覚的に体感できるのが、宝泉院の「額縁庭園」。

言葉にできなくてもこの場に行けば伝わる、日本の美意識です。

ヨーロッパの美、日本の美、どちらが上でどちらが下ということではなく、一見相反するような価値観がどちらも「美しい」という不思議さと贅沢さ。

最初にも述べたように、「美しさ」は人の心の中にあります。違う「美しさ」に触れたとき私たちの価値観は大きく広がるのです。

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